第1巣
日本の神話
第6羽 瑞鳥から魔鳥になったカラス
 入間で射られた魔鳥は、白くて三本足で1丈5尺の巨大なカラスだという。世が世なら、その発見者は多大な恩賞を受け、発見した場所では税金が免除されるほどの喜びごとなのだが、結局魔鳥ということで退治されてしまった。
 世が世ならという時代、延喜式は、醍醐天皇8年の延喜5年(905)に着手し醍醐天皇30年の延長5年(927)に上梓され冷泉天皇の康和4年(967)に施行された格式である。格と式は、律令の細則であって、全50巻3300条になる政府官僚の運用マニュアルである。
 その第21巻治部省は、祥瑞から始まる。大瑞59 上瑞38 中瑞33 下瑞15が並べられる。唐の「開元7年令(玄宗皇帝719)」の丸写しだとか。その中から、青カラス(南海より輸す)赤カラス、三足烏(日の精也)これら上瑞。白カラス(太陽の精也)蒼カラス(烏にして蒼色。江海、洪波を揚げずして東海より輸す)、これら中瑞となっている。入間のカラスは、上瑞にしてかつ中瑞の、世の中善政、天人満足の瑞徴のはずなのだ。その瑞兆たるカラスの献上記録が「古事類苑」にまとめられている。延喜式を遡る300年前から始まる。
 別表の最初にあるのは、天武天皇6年(607)11月に筑紫の大宰(つくしのおおおみこともち)が赤いカラスを献上した。この時の恩賞は、太宰府で働いている人に禄物が配られ、カラスを捕まえた人は冠位五級を賜い、カラスの出た土地の郡司も爵位を増やし、その郡内の1年分の課役は免除され、さらに全国で大赦が行われた。中瑞の赤烏一羽でこの大喜びだったのに、入間の三足にして日の精、太陽の精たる白烏は哀れな最後を遂げたのであった。古事類苑のまとめでは、日本書紀から始まった六国史の最後の三代実録「清和、陽成、光孝」の887年までの記録である。
 江戸中期天明期(1781〜1788)八代将軍吉宗の頃の話を、随筆集「甲子夜話」から一文。「天明の末か、京師の近鄙より白烏を獲て朝廷に献じたることあり。みな人祥瑞と言いける。然るに翌年、京都大火し、禁闕も炎上す。その後松平信濃守に会して聞きたるは、いわく 豊後高田の実家では、白烏を見ることあらば軽卒を使ってこれを逐い索め鳥銃を以て撃ち殺す。その故は、白烏は城枯らす(しろからす)の兆しとてその名を忌みてなり。野俗の習わしなりと言いて笑いたりしか。」
 「甲子夜話(かっしやわ)」は幕末文化天保の間肥前平戸隠居の殿様松浦静山による。
 いずれにしてもカラスをして崇鳥拜日のシンボルにした時代は終わったようである。
瑞烏献上記録
「古事類苑」
神宮司庁
明治41
九峰表
出典
年号
西暦
場所
瑞鳥
報奨
  
日本書紀
天武6
677
筑紫
赤烏
@
 
扶桑略記
天武11
682
大宰府
三足烏
 
 
日本書紀
持統6
692
相模
赤烏雛
2隻
A
 
続日本紀
文武2
698
下野
赤烏
 
 
続日本紀
文武2
698
備前
赤烏
 
 
続日本紀
文武慶雲元
704
下総
白烏
 
 
続日本紀
文武慶雲2
705
越前
赤烏
B
 
続日本紀
元正養老5
721
武蔵
赤烏
 
 
続日本紀
元正養老5
721
上野
赤烏
 
 
続日本紀
聖武天平11
739
出雲
赤烏
 
 
続日本紀
聖武天平11
739
越中
白烏
 
 
続日本紀
孝謙天平勝宝6
754
上野
白烏
 
 
続日本紀
孝謙天平勝宝7
755
安芸
白烏
 
聖武天皇没
続日本紀
称徳神護景雲2
768
参河
白烏
C
 
続日本紀
称徳宝亀元
770
常陸
白烏
 
道鏡失脚
続日本紀
称徳宝亀元
770
筑前
白雉
D
 
続日本紀
光仁宝亀3
772
参河
白烏
 
 
続日本紀
光仁宝亀4
773
常陸
白烏
 
 
続日本紀
光仁宝亀5
774
上総
白烏
 
 
続日本紀
桓武延暦3
784
大和普光寺
赤烏
E
長岡遷都
類聚国史
延暦13
794
甲斐
白烏
 
平安遷都
日本後記
大同元
806
武蔵
白烏
F
空海帰国
類聚国史
大同4
809
伊勢
白烏
 
 
類聚国史
弘仁2
811
信濃
白烏
 
 
続日本後記
仁明承和11
844
大宰府
白烏
 
 
三代実録
陽成元慶6
882
大和
白烏雛
 
 
扶桑略記
醍醐延長3
925
山城
白烏
 
 
報奨
@大宰府諸司人賜禄、捕獲者賜爵5級、郡司加増爵位 郡内百姓1年給復、天下大赦
A天下大赦但し十悪盗賊は不在、相模国司賜御浦郡少領、穫者位と禄、御浦郡3年調役復
B国司と郡司進位1階、百姓1年給復、穫人従8位下と賜綿布鍬
C白烏太陽の精也。徳鳥獣に至れば白烏下る。献者長谷部授少初位上、賜正税500束
D穫者財部宇代賜爵人2級、稲500束
E晋光寺僧勤韓授大法師、施稲1千束
F穫者伊福部浄主稲500束
by九岈